東京都北区が栄えるまで

東京都北区には、今から3万年前の時代から人が住んでいた形跡が残っています。江戸時代、北区一体は農村地帯でした。飛鳥山は江戸時代の庶民の行楽の地として開放され、1000本以上の桜が植樹されました。この時代の庶民は、春は花見、夏は滝、秋は紅葉狩りと、一年を通じて北区一体の風土を楽しみました。その風景は多くの絵師によって錦絵となり、現代でも当時の様子をうかがい知ることができます。さらに街道整備も始まり、東海道・中山道等の五街道に続き、岩槻街道なども整備されます。岩槻街道は、将軍一行が日光東照宮に参詣するときに通る道として有名となります。明治時代になると鉄道が開通し、北区はますますにぎやかになります。中心部には路面電車も走り、工場も進出してきました。関東大震災以降、さらに人口増加は進み、都市化が進みました。昭和初期、東京都は35区となります。現在の北区は、滝野川町が滝野川区、王子町と岩淵町が合併して王子区となりました。

日光御成街道 - Wikipedia